「ミルク喜多の知らない世界」#06

「カジカジ」連載コラム 2020.04 No.281 掲載

皆さんこんにちは。本年はじまって2回目の当コラム。「ファッションの行方」とか偉そうなタイトルつけやがって何様だよとか言われそうだが、独断と偏見で私なりに思うところをつらつらと。

 さて、つい先日、フランスで在庫や売れ残り品の廃棄を禁止する法案の準備が進められているというニュースが飛び込んできた。その旗振り役は、フランス環境連帯移行大臣付副大臣のブリュヌ・ポワルソン氏。彼女は着こなしのセンスの良さなどでファッション媒体にもしばしば登場する。彼女はスピーチで「ファッションは人に夢を見せる産業だからこそ、サステナビリティに本気で取り組むべき」「ファッション業界は世界で2番目に環境を汚染しているにもかかわらず、数年前まで、環境問題やサステナビリティについて話すブランドやメーカーはほとんどなかった」などと述べている。私もこれについては全くもって異論はなく、過去のコラムでも同じような見解を示してきた。ただ、この法案は内容次第では、ファッション市場の縮小と、多くの関連企業の衰退を招くのではないかとも思う。ルイ・ヴィトンをはじめブランド価値創造がお家芸のフランスだからこその高いハードルなのかもしれないが、いまの日本で同様の法案を施行すると大パニックになるのではないだろうか。

 ブランディングの観点から見れば、セールをせずに普遍的な価値として消費される事は理想だ。しかし多くの消費者は高い洋服を買わなくなっているし、日本では若者の貧困問題が騒がれている時代だ。また、ECでの売上比率が大きくなっている現代、モノが飽和状態の中で適正数量を仕込むのも至難の技だろう。環境汚染への対策は急務だが、こういった多角的な状況を加味した上で内容を精査していかなければならないのではないかと思う。

 こんな事を考えていると、この先のファッションの行方はどうなるのだろうかと想像する事がしばしばある。もしかすると、半世紀後にはApple Watchのようなデバイスをタッチすれば、勝手にホログラムのように洋服を着る(実際には着ていないが)ことができ、体温調整も可能になるかもしれない。そんな時代が来れば、もはや繊維産業からファッションが失われてしまう結末にもなり兼ねない。洋服と肌を重ねる事がファッションだと考える人々にとって、これは怖しい事だろう。

 無論、サスティナビリティというワードは単なる流行りではない。ファッションが夢を与え続けられるかを再考する為の課題なのかもしれない。


喜多 泰之 – Yasuyuki Kita

1987年大阪生まれ。2007年より大手セレクトショップにてPR・バイヤー・イベント企画・家具企画・CSRを担当。
2018年春に独立し、現在は「MILKBOTTLE SHAKERS」の屋号でアパレルを軸に様々な業界とのプロジェクトを推進。2019年「株式会社MILKBOTTLE SHAKERS」を設立。代表取締役。